
ご覧いただきありがとうございます。
オンラインカウンセラーの なお です。
アダルトチルドレンとして感じる生きづらさは、とても深く、言葉にしづらく、そして人に理解されにくいものです。気づけば一人で抱え込み、誰にも頼れないまま苦しさを溜めてしまいがちですよね。
ここでは、そんなあなたの気持ちを “そっと受け止められる場所” でありたいと思っています。
泣いても、黙っていても、ゆっくり話しても大丈夫。
一緒に、少しずつ心の重さをほどいていきましょう。
私が心の重さをほどいていくまでの軌跡
幼少期に刻まれた深い傷
四姉妹の三女として生まれた私は、“台風の目” と言われるほど元気な子どもでした。
…ですが、実は幼少期の記憶があまりありません。
鮮明に残っているのは、父に怒鳴られ、殴られ続けた日々だけです。
掃除機の柄を持って追いかけてくる父。押し入れに隠れて震えても、結局引きずり出され殴られる毎日。「他の姉妹は殴られないのに、なぜ私だけ?」という疑問を抱えながら、ただ怯えて生きていました。
成長すると、鍵のかけられるトイレが唯一の逃げ場でした。しかし扉を蹴り壊され、足先が見えた瞬間の恐怖は、今でも忘れられません。
理由もなく、うるさい、目障りだと怒鳴られ殴られる。
父に似た自分の顔が嫌われているからだと思い込み、毎日がとにかく辛かった。
父が夜に帰ってくると、とにかく逃げる――そんな日々でした。
父が怖くて大嫌いで、助けてくれない母を同じくらい恨んでいました。
笑顔で覆い隠した学生時代
家では暴力が続き、学校に行くのも苦痛でした。
小学校を卒業した日は心の底から喜び、始まる中学生活には絶望しかありませんでした。
それでも私の表情はいつも“笑顔”。
顔にシップを貼って登校しても心配されるだけで、虐待を疑われることはありませんでした。
通知表には「明るく優しい子」。
褒められるようになるにつれ、私は “笑顔で自分を守る術” を身につけていきました。
笑っていれば怒られない、嫌われない――そう思い込み、辛い気持ちに蓋をし続けた結果、当時の記憶はほとんど残っていません。
中学ではいじめを受けましたが、誰にも相談できず、ただ笑って耐え続けました。
相談すれば広まり、さらに悪化するのでは…と想像し、誰も信用できなくなっていったのです。
断れない・嫌と言えない・人の目が怖い。
家でも学校でも、私は常に相手の顔色を窺っていました。
人に会うこと、人前で食事をすることすら怖く、頻繁に風邪をひいては休むことで「体が弱い子」と思われるようになりました。
絵だけが心を休めてくれた
現実から逃げるように、私は絵を描くことで心を保っていました。
描いている間だけは何も考えなくてよかったからです。
大学でも絵を学び、多くの人に褒められましたが、たった一つの批判が怖くなり、次第に人に絵を見せられなくなっていきました。他人の評価でしか自分の価値を認められなかった私は、最後には絵を描くことすら諦めてしまいました。
大人になっても消えなかった生きづらさ
社会に出ても、私は子どもの頃と同じ苦しさを抱えたままでした。
人間関係のストレスで心身を崩し転職を重ねる日々。両親への怒りを抱え続け、「全て両親のせいだ」と恨み、爆発した怒りをぶつけてしまったこともあります。
父に勝てたように思えても、現実は何も変わりませんでした。
生きることが辛く、苦しさは増す一方。
どうにかしたくて心理学のスクールに通っても、自己開示の恐怖で続きませんでした。
人前での食事が苦痛で付き合いを避け、変わろうと頑張れば頑張るほど心は限界に。
痛みに鈍くなりすぎて、自分の気持ちにも鈍くなっていたのです。
不安に襲われても、何が嫌なのかさえ分からない。
誰かに聞いてもらおうとも思えず、全てから逃げ出したい日々が続きました。
息子の存在が私を映し出した
結婚し息子が生まれても、体調不良も生きづらさも当たり前になっていて、変わらないと諦めていました。
息子は体調を崩しやすく、私は余裕がなく毎日のように怒っていました。
やがて息子はいじめられ、深く傷つき、小学四年生で家出。
保護された息子は「家に帰りたくない」と言い、児童相談所の一時保護所へ。
連絡を待つ1週間、私は生きた心地がしませんでした。
世間体と自分のことばかり気にしていた自分に自己嫌悪し、どう仕事に行っていたかも覚えていないほど不安な日々でした。
面談を重ねるなかで、私は初めて “自分の気持ち” に向き合いました。
息子がどれほど辛かったか、私自身も余裕がなかったこと、そして私は大嫌いな父と同じ行動をしていたこと――。
息子は、かつての私と同じだったのです。
そこでようやく「変わらなければ」と心から思いました。
「息子を変えるのではなく、まず私が変わろう」と。
夫とも話し合い、誰が悪いかではなく、息子の気持ちを最優先にするよう努めました。
2か月後、息子は無事に帰宅。
学校との調整でいじめた子どもとの接近禁止が徹底され、安心して通学できるようになりました。
帰ってきた息子に、私は心から謝りました。
「怒ってばかりでごめんね。辛い思いをさせてごめんね。帰ってきてくれてありがとう。」
息子は「家に帰りたかった」と言ってくれました。涙が止まりませんでした。
その後、息子は周囲のサポートの中でみるみる元気になり、世界を広げ、学級代表になるほどポジティブに変わりました。
私はその姿に救われ、そして同時に、私たち親子を支えてくれた方々への感謝が込み上げ、「次は私が恩返しをしたい」と強く思うようになりました。
恨みの奥にあった “愛” に気づいた
私は両親から受け取っていた“愛”に気づき始めました。
結婚を喜んでくれたこと。
入院したとき支えてくれた家族。
妊娠中に送り迎えをしてくれた父。
孫を誰より可愛がった父。
そして、家出した息子を一番心配していた母。
恨みの裏側には、見えなくなっていただけの愛がありました。
私はようやく、その事実を受け取ることができたのです。
カウンセラーとして、誰かの味方になりたい
私は心理学をもう一度学び直し、今も学び続けています。
知識として理解できても、心に落とし込むには時間がかかります。
でも、それでいいのです。
「私は私の一番の味方でいていい。」
そう思えるようになったとき、生き方が変わり始めました。
幸せな感情も、辛い感情も、すべて大切な“私の感情”。
今では心から両親に感謝し、生きていることが幸せだと感じています。
変わろうと決め、一歩踏み出す“勇気”。
それがすべての始まりでした。
一人では怖くても、聞いてくれ、認めてくれる人がいれば、前に進めます。
人に話すことはとても勇気がいること。
私自身、誰よりもそれを知っています。
だからこそ、その勇気を私は大切に受け取りたいと思っています。
あなたへメッセージ
アダルトチルドレンだからと、幸せを諦めていませんか?
押し込めた感情は、いつか怒りとなって溢れてしまいます。
大切なあなたの感情に、どうか気づいてあげてほしいのです。
助けを求めることは弱さではありません。
あなたに出会えた奇跡に感謝し、一緒に悩めることを嬉しく思います。
どうか、あなたが心の重さを少しでも下ろせますように。
願わくば、あなたと出会える日を心から祈っています。