“迷惑をかけたくない”と思っていた私が、一番迷惑をかけていたこと

あなたも、頼るのが怖いと感じたことはありませんか?
昔の私は、「人に迷惑をかけてはいけない」と強く思っていました。
頼るくらいなら、自分でやった方がいい。
お願いするくらいなら、無理した方がいい。
そんなふうに思っていました。
その根底には、「奪われる」という恐れがありました。
手伝ってもらったら、私の仕事がなくなる。
評価が下がって、認めてもらえなくなる。
本当は苦しかったのに、「大丈夫」と言ってしまう。
終電まで一人で仕事を抱えて残業し、毎日疲れ切っていました。
仕事をこなせば、それなりに評価してもらえます。
「頑張っているね」と言ってもらえる。
でも、一度もらった評価を、今度は下げることが怖くなる。
本当は助けてほしかったのに、「これくらい平気」と我慢してしまう。
誰かが評価されたら、私の価値がなくなってしまう気がして、
より一層、仕事をお願いできなくなる。
相手にどう思われるのだろうか、と
周りの評価を求めて仕事をする状態になり、
どんどん自分を苦しめ、追い詰めていることにも気づけませんでした。
「迷惑をかけるから」という体のいい言い訳をして、
実際は、周りの反応におびえている状態でした。
周りの人はみんなライバルのように見えて、
常に評価にびくびくして、虚勢を張りながら、
心の中ではずっと戦っていました。
無理をすればするほど、心は疲弊し、ミスも起きる。
そして限界が来ると、
「なんで自分はこんなにダメなんだろう」
また、自分を責めていました。
自己肯定感は、どんどん下がっていきました。
そりゃ、体も壊します。
仕事も嫌いになります。
人間関係も壊れます。
今思えば、あの頃の私は、
「迷惑をかけてはいけない」と思うくらい、
その職場が大事で、周りのことを大切にしたかった。
でも同じくらい、
「いつ崩壊するのか分からない」という怖さも抱えていました。
周りからの評価は、
優しい人。
まじめな人。
いつもにこやかに笑っている人。
でも結局、私は
「認めてもらうため」に頑張って仕事をしていました。
愛されるために、仕事をしていたのです。
良い仕事をするためでも、
同僚やお客様に喜んでもらうためでもなかった。
すべて、自分の心の安寧のための行動でした。
子どもの頃の私は、
とんでもなく欲望に忠実で、
よく言えば素直、悪く言えば考えなし。
まさに「ザ・子ども」という感じの子どもでした。
ある時、母と姉妹と私でバスに乗ったときのことです。
(今のバスにはないかもしれませんが、
乗るときに整理券を取るタイプのバスでした)
その整理券が珍しくて、
バスが停まるたびに何枚も取って遊んでしまったのです。
手の中に増えていく整理券が嬉しくて、
扉が開くたびに取り続けました。
当然、運転手さんに怒られました。
本を読んでいた母は、その時になってやっと気づき、
私を連れて運転手さんに謝りました。
母は「もうしないでね」と優しい声で言いました。
でも、その手は強くて、
ため息もついていました。
私はその時、強く感じました。
「怒られている」
「失望された」
言葉では許されているのに、
態度では否定されているように感じたのです。
それから私は、
言葉は信用できない。
いつか見限られるかもしれない。
そう感じるようになり、
母の顔色をうかがうようになりました。
これは、今でも強く覚えている出来事の一つです。
子どもは、両親の愛情がなければ生きていけません。
だからこそ、
母親や父親からの愛情がなくなることを極端に恐れます。
そして、子どもの頃のそういった感情の記憶は、
とても強く残ります。
前後の出来事は覚えていなくても、
感情だけが、くっきりと残るのです。
私は4人姉妹の3番目で、
姉妹で母親の愛情を取り合っているような感覚もありました。
この出来事は、私の中に強く残りました。
失敗したら、失望される。
失望されたら、愛されない。
そう思い込んだのだと思います。
でも今なら、母の気持ちが想像できます。
あの時、ため息をついたのは、
私に対してではなかったのかもしれない。
優しい母は、
「どうしてもっとちゃんと見ていなかったのか」と
自分を責めていたのだと思います。
バスの中には他にも乗客がいました。
母親なんだからちゃんと見ておけ、と
非難の目を向けられたかもしれません。
そう思うと、
私は母に申し訳ないことをしてしまったと、
心の中で何度も謝りました。
そして同時に、
あの時の悲しかった自分の気持ちにも、
やっと寄り添えるようになりました。
私の感じていたことは、
勘違いだったのかもしれない。
母は、私を愛していました。
今では、はっきりとそう思えます。
こうして、子どもの頃の小さな出来事が、
自分の心のクセをつくっていきます。
当時の私は、
「辛いときは頼っていい」と分かっていても、
「手伝って」の一言が言えませんでした。
自己啓発や心理学も学びました。
人がいいと言っている本もたくさん読みました。
何とか実践しようと、
勇気を出して頼ってみることもありました。
でもその後、
「どう思われただろう」と怖くなり、
何日も頭の中でぐるぐる考え続けてしまう。
その結果、さらに人の目が気になり、
ミスが増える。
そしてまた、自分を責める。
そんな悪循環を繰り返していました。
「どんな問題も、それをつくり出したときと同じ意識では解決できない」
そう言ったのは、アルベルト・アインシュタインです。
同じ恐れを土台にしたまま行動しても、
また同じことを繰り返してしまう。
私はそれを、自分の体験で実感しました。
だからこそ必要なのは、
「行動」ではなく、
「意識を変えること」でした。
迷惑とは何なのか。
自分はどうしたいのか。
そうやって、自分と向き合うこと。
恐れを消す必要はありません。
恐れを感じたまま、
それでも自分はどうするのかを選ぶ。
「認めてほしいから頼る」のか
「信頼しているから頼る」のか
その違いは、結果に大きく表れます。
3年前、母が余命宣告を受けたとき、
私はちょうど体調を崩し、仕事を辞めていました。
時間があった私は、
積極的に母の看病を手伝いに行きました。
そのたびに母は言いました。
「迷惑かけてごめんね、ありがとう」
でも私は、
母のそばにいられることが嬉しかった。
残りの時間を一緒に過ごせることが、何より大切でした。
それなのに母は、何度も謝るのです。
私はそのたびに、悲しくなりました。
その時、気づいたのです。
「迷惑をかける」と思って頼らなかった私は、
誰かが「助けたい」と思ってくれている気持ちを、
受け取っていなかったのだと。
「手伝おうか?」と言ってくれた人。
「大丈夫?」と気にかけてくれた人。
思い返せば、私はずっと、
認められて、愛されていました。
母には、
「やってあげたいからやってるんだよ」
「何でも言ってね」
そう言えるようになりました。
それから1ヶ月後、母は亡くなりました。
でも日記には、
「娘が手伝ってくれました。感謝しています」
そう書かれていました。
本当に、関われてよかったと思いました。
もし、あなたが今、
「迷惑をかけてはいけない」と思っているなら。
あなたを助けたいと思っている人が、
必ずどこかにいます。
まだ出会っていないだけかもしれない。
気づいていないだけかもしれない。
でも、必ずいます。
ひとりで抱えなくていい。
辛いときは、頼っていい。
人と話すことで、
今までとは違う気づきが得られることもあります。
もちろん、
一人で自分を大切にして、安心を積み重ねていくことも、
とても大切です。
今つらいあなたが、
少しでも幸せに生きられるようになることを、心から祈っています。
もしよければ、
あなたの話を聞かせてください。
一緒に、心の重りを外していくお手伝いをします。
初回体験カウンセリング、行っています。

